江戸からかみの版木

江戸からかみの歴史

「江戸からかみ」は和紙に様々な装飾を施して作られた工芸品です。歴史は古く平安時代まで遡ります。「からかみ」は唐紙とも書きますが、その字の如く中国から伝来した模様のある紋唐紙(もんからかみ)『北宋の彩牋(ほくそうのさいせん)』をお手本にして、平安時代に早くも国産化したものです。
からかみの加飾のルーツには2系統あり、ひとつは仏教の経典を装飾した、奈良や平安時代の装飾経の金銀箔砂子を中心とする加飾技法です。その頂点は国宝平家納経といわれます。
もうひとつは、やまとうたの詠草料紙(えいそうりょうし)を装飾する、木版からかみを中心とする料紙装飾の世界です。その最高峰が国宝本願寺本三十六人歌集といわれます。経典とやまとうたの詠草料紙を装飾した技法が、のちに書院造りや数奇屋造りの襖(ふすま)や壁面を飾り、室内空間を広々と豊かに彩る大画面に展開してきました。400年の歴史をもつ「江戸からかみ」の技法の奥にはさらに1000年余の和紙の加飾の歴史が重ねられています。

国宝平家納経(『厳島神社国宝展』より)

国宝本願寺三十六人歌集(複製)

慶長8年(1603)、徳川家康が江戸に開いた、いわゆる大江戸八百八町は約270年にわたり繁栄を続け、江戸城や諸大名の屋敷、神社や仏閣、町人や職人の住居や長屋、各種の店屋の襖に貼られる、からかみの需要は増大しました。からかみの発生の地、京都の唐紙師(からかみし)の流れを汲む職人たちが江戸に移住して、この需要増に応えました。

「江戸からかみ」とは、江戸の地元で出来るからかみのことで、はじめは「地唐紙(じからかみ)」とよばれていましたが幕末の頃になると、「江戸からかみ」の呼称にかわってきました。
「江戸からかみ」の加飾(かしょく)の技法の中心は、唐紙師(からかみし)の技術の展開であり、和紙に版木の文様を写しとる、「木版手摺り」です。この唐紙師の技法が、狭義の江戸からかみでありますが、江戸は巨大な人口をかかえるとともに火災が多かったので、からかみの需要は増大し、木版だけでなく、かさばらない伊勢型紙(渋型紙)を用いる襖(ふすま)の更紗師(さらさし)も増えました。
さらに金銀箔(きんぎんはく)を平押し、または砂子(すなご)にして和紙に蒔(ま)く砂子師(すなごし)も、からかみの装飾に加わってきます。
これら唐紙師・更紗師・砂子師の三つの加飾技法をもって、「江戸からかみ」と称するようになりました。三技法は、それぞれ専門職化し、必要に応じて互いに協力し、お互い技を競いながら発達しました。

『今様職人尽百人一首』にみられる
地唐紙師

地唐紙師の図(『和国諸職業絵尽』より)

江戸開府から90年ほどたった元禄2年(1689)には、早くも江戸の唐紙師は、北の浅草から南の新橋までの地域に13軒の名匠がいたことが記録に残されています。江戸の唐紙師が用いる文様の木版の種類は『享保千型(きょうほうせんがた)』(享保年間1716~1736)とよぶ言葉が今も業界に伝わっており、数千種、或いは万余に及ぶ多彩な「江戸からかみ」の文様の世界が展開されました。

当時のからかみはヨーロッパの美術館や博物館に保存されております。中でも、幕末の駐日英国公使の「オルコック・コレクション」の「からかみ」などが代表例です。また「シーボルト・コレクション」や「パークス・コレクション」なども当時の貴重な資料です。

木版手摺り/篩(ふるい)を用いて版木に絵の具をのせる

渋型捺染手摺り/多色で摺る更紗型

金銀砂子手蒔き/竹筒から砂子を蒔く

大正12年(1923)、突如発生した関東大震災により、江戸時代から東京下町に伝わった小判の「江戸からかみ」の版木、『享保千型』とよばれる万余の版木は灰燼に帰しました。
昭和5年(1930)アトリエ社発行の『工芸美術を語る』には「京都から興ったからかみは、文化文政には最盛期に達し、大正の震災では東京で四、五千枚の版木が焼尽された」とあります。
震災後、再び復刻したり、新刻した何百にのぼる版木も、昭和20年(1945)の東京下町大空襲で、またも焼尽してしまいました。伊勢型紙(渋型紙)は、井戸や土中に埋め、数百枚の型紙が、戦災をのがれて今に伝わりました。

震災後と終戦後に復刻された版木や伊勢型紙(渋型紙)は、明治時代末の手漉きのふすま紙の大判化(巾3尺×丈6尺:約900×1800mm)に対応して、版と型の大きさも、大判(巾3尺×丈1尺2寸~2尺:約900×360~600mm)になりました。

江戸時代の小判の版木

戦後復刻した大判の版木

大正末~昭和戦前期の版木・伊勢型紙(渋型紙)の大判化によって、従来の小判(巾1尺4寸8分~1尺5寸5分×丈9寸5分:約450~470mm×290mm)の版木や型紙の意匠・文様に較べ、より大きな構図の、絵画的でさらにのびやかさが強調された文様が多く考案されました。「蔦」「玉萩」「秋草」など草花のおおらかな絵柄の文様が代表的です。

木版手摺り/左から「光琳蔦」、「大七宝」(江戸時代の版木)、「麻の葉」に「大青海波」(江戸時代の版木)

渋型捺染手摺り/左から「袋雀」「枝紅葉」「秋草」

金銀砂子手蒔き

平成3年(1991)に、「江戸からかみ」の復興と技術の継承と永続を願い、「江戸からかみ」の職人衆10軒の加飾の職人工房と、版元和紙問屋東京松屋は、「江戸からかみ振興会」のちの「江戸からかみ協同組合」を結成し、団体として行政へのはたらきかけに取り組みました。平成4年(1992)、東京都の伝統工芸品の指定、平成11年(1999)に、経済産業大臣より国の伝統的工芸品の指定を受け、平成19年(2007)には、特許庁に出願した地域団体商標(地域ブランド)を「江戸からかみ」は取得いたしました(商標登録第5100407号)。

参考文献:・「江戸からかみ─その歴史的背景と多彩な展開」久米康生 著/東京松屋
     ・「工芸美術を語る」アトリエ社
社)日本建築士事務所協会連合会「Argus-eye」平成21年(2009) 6月号
「江戸からかみ」学入門 執筆:河野綾子(<株>東京松屋)掲載から一部抜粋